渡邊雄太選手、NBAへの挑戦!

こんにちわ!


だいすけです。

皆さんは中学、高校、大学と部活は何をしていましたか?
僕はバスケ部でした!

小学生の時からスラムダンクに影響を受けて、バスケをやり続けていました。
その為、小さいころからバスケを見続けてきました!

そしてバスケの本場といえば、アメリNBAです。
僕が小さい頃はマイケルジョーダンが全盛期でバスケの神様のプレーに日々魅了されていました!

そしてNBAといえば世界中から運動神経抜群の超人達が集まるリーグです。

そんな中で日本人が今シーズン、田臥勇太選手以来NBAデビューをしたんです。
そう渡邊雄太選手です!

◾️渡邊雄太選手の経歴
《幼少期〜高校》
渡邊雄太選手は1994年に香川県で元バスケットボール選手の両親の間に生まれました。小学校1年生の頃からバスケットを始めま、メキメキと力をつけて、高校では地元香川の尽誠学園高校に行き、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では2011年、2012年と2年連続で準優勝し、大会ベスト5にも選ばれました!



アメリカ留学〜大学》
高校を卒業と共に渡邊選手が選んだ道はアメリカへの留学、及びアメリカの大学への進学でした。

アメリカへの進学については悩んだことも多かったとのことですが、日本人初のNBA選手であり、現在Bリーグ栃木ブレックスに所属している田臥勇太選手にも相談し、アメリカへの進学を決断します。

まず高校を卒業し、プレップスクールという大学進学の為の準備学校に通い、プレップスクール内のバスケの大会での功績が認められ、NCAA1部のジョージワシントン大学への奨学生として入学が決まりました。

「渡邊雄太」の画像検索結果


引用:

大学時代は線が細かったのですが、筋力トレーニングを継続し、4年生の時にはチームの得点源であるエース選手になり、相手のエースを押さえ込むディフェンダーとなりディフェンス・プレーヤー・オブ・ジ・イヤーを達成し華々しい大学でのキャリアを過ごしました。


NBAへ》
昨年行われたプレシーズンでNBAのブルックリンネッツのメンバーとして、活躍しメンフィスグリズリーズとの2way契約を勝ち取りました!
2way契約とはNBAとその下部組織のGリーグを行き来できる契約です。

そして2018年10月27日にフェニックスサンズとメンフィスグリズリーズとの公式戦で田臥勇太選手依頼のNBAデビューをし、2得点、2リバウンドの活躍をしたました。


◾️僕が思う渡邊雄太選手の凄さ
そんな僕が渡邊雄太選手の凄さは2点あります!

①勤勉で努力家
渡邊選手はジョージワシントン大学を4年間通い、卒業してからNBAに入りました。
僕は大学を4年間通い卒業したのが凄いと思います。

ペンを持つ手とノート


日本の大学では入学するまでの受験勉強が大変で、皆一生懸命努力し、大学時代は羽を伸ばすことが多いかと思うのですがアメリカは逆に大学に入学してから卒業するまでが大変なんです。

大学バスケットボール会では、まず学生としての本分が大事にされています。
つまり大学の授業も全出席し、必要な成績を取らないと練習、試合に出場できないのです。

しかもその内容が毎週のようにあるレポートとディスカッションの数々からアメリカでは大学時代に皆一番勉強するのです。

渡邊選手はアメリカで、外国語である英語の授業の中、これを突破し、バスケのトレーニング、試合を行っており、その努力は尊敬に値します。


②決断力
僅か18歳にして、単身アメリカに渡り、自分の夢であるNBAに入る為にアメリカの大学に行く決断が凄いと思います。

18歳にしてまだ日本人として誰も軌跡を残せていない道にチャレンジした精神、決断力は本当に凄いと思います。

まだ誰も開拓したことの無い道を自分自身でつくっていくのには相当の勇気が必要だったのではないかと思います。


◼️今後
渡邊雄太選手は今メンフィス・グリズリーズとの2way契約でその下部組織のメンフィス・ハッスルで主にプレーしながらNBAでの活躍を虎視眈眈と狙っています!

「渡邊雄太」の画像検索結果


引用:

渡邊雄太選手は背が206cmあり、左利きからスリーポイントが打て、腕も長くディフェンスも上手く、バスケIQも高い選手ですので現代のバスケットボールの戦略にぴったりの選手です。

今後の渡邊選手の活躍が楽しみですね。

僕も渡邊選手のように日々努力し、挑戦していく毎日を生きます。